推定1940年代頃、イギリス製『ハウンドトゥース スポーツジャケット』になります。
いやぁ、これは実に洒落ています。
これほど古い作りの個体が、これほど端正な柄で残っているというのは、正直あまり見かけないんですね。
スポーツジャケットという名前を、運動着の意味だと思われている方がいらっしゃるかもしれません。
もともとは英国のカントリーライフ、つまり狩猟や射撃といった野外の遊びのために仕立てられた上着のことを指します。
スーツの上着ほど格式張らず、それでいて紳士としての体面は保つ。
その中間地点を埋めるために生まれたのが、この種の一着なんですね。
やがて戦後になると、街でも着られるカジュアルな上着として定着していきます。
当個体はその過渡期にあたる、実に興味深い立ち位置の一着かと思います。
年代の手がかりは、フロントのジップにあります。
スライダーに刻まれているのは "LIGHTNING" の文字。バーミンガムに拠点を構えた老舗ファスナーメーカーのものです。
しかも当個体のジップは片爪仕様という、極めて古い時代の造り。
後年の量産型とは金属の光り方からして違いますし、指で引いた時の重さもまるで別物なんですよ。
この一点だけでも、当個体が相当に古い個体である事を教えてくれます。
袖口のボタンホールが手縫いで開けられているのも、同じ時代の証と言えるでしょう。
糸を一針ずつ回してかがった穴の縁は、ミシンで打った均一なそれとは表情がまるで違います。
モデルを特徴づけるディテールを、順に見ていきましょう。
まず目を惹くのが、胸元を横切る山なりの切り替え。
アンブレラヨークと呼ばれる仕立てで、傘のように雨を肩から外へ流す為に設けられた構造になります。
野外で着る事を前提とした上着だからこその設計ですが、この曲線が入るだけで胸まわりに立体感が生まれて、佇まいがぐっと引き締まりますね。
機能から生まれた形が結果的に美しい、という好例かと思います。
腰の両脇には、縦に切れ込んだハンドウォーマーポケットを配置。
柄をぴたりと合わせて縫い込んであるので、ぱっと見ではポケットの存在に気付かないほどです。
袖口は、シェル調のボタンで留めるカフス仕様。
光の角度で虹色にゆらぐ艶があり、プラスチックのボタンには絶対に出せない深みを湛えています。
そして、この一着で最も心を掴まれたのが裏地です。
表が白と黒の端正な千鳥格子であるのに対して、内側は "レッド × ネイビー" のバッファローチェック。
普通に考えれば喧嘩しそうな組み合わせなのですが、これが不思議と調和しているんです。
前を開けて羽織った時、襟の返りからチラリと赤が覗く。
この瞬間の可愛らしさは、写真ではなかなか伝わりきらないところかと思います。
組成表記が無いので断言できかねますが、レーヨンを混じえたウール生地と推測しています。
手に取るとテロリとした落ち感があり、見た目の武骨さに反して驚くほど軽い。
当時のアメリカ製レーヨンジャケットにも通じる、あの独特の質感ですね。
カラーは、白と黒で織り上げられた小柄のハウンドトゥース。
そこへ格子状に走るウィンドウペーンが重ねられているのですが、よく見るとこのラインに淡いグリーンが差してあります。
遠目にはモノトーンにしか見えないのに、近寄ると急に色が立ち上がる。
この隠し味が実に英国的で、初めて気付いた時には思わず唸りました。
モノトーンベースですので、柄物でありながら合わせる色を選びません。
柄を取り入れてみたいけれど派手になるのは避けたい、という方には最適な一枚ではないでしょうか。
黒のタートルネックに合わせてモノトーンで通すのも良いですし、デニムに羽織ってカジュアルに崩すのも良い。
どちらの場合も、開いた襟から覗く赤が良い仕事をしてくれるかと思います。
サイズ表記は無いのですが、実寸から見るに日本サイズで "S ~ M" 程度に該当するかと思います。
着丈が短くコンパクトにまとまった、いかにも当時らしいバランスです。
ただしアームホールがかなり細く取られていますので、細身の体型の方に特にお勧めしたい一着になります。
汚れ・擦れ・ほつれ・小穴・破れ等の使用感はありますが、着用に問題のある大きなダメージは見受けられませんので、まだまだご着用可能かと思います。
この生地は今も織れるのかもしれません。
ただ、片爪仕様のジップも、一針ずつ手で回したボタンホールも、現代の生産の中ではもう成立しないんですね。
手間が価格に見合わないからです。
八十年前の英国で、誰かが休日に袖を通していた一着。
その静かな洒落気が、今でもそのまま残っています。
秋の少し冷えた朝に、シャツの上から羽織って出かける。
そんな何気ない一日を、少しだけ豊かにしてくれる一着かと思います。